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子供に誇れる“親の背中”を手に入れるために知るべきこと

室内で娘と遊ぶ父親

子どもは親の背中を見て育つ、とよく言われます。

この世に生を受けたときから、思春期を迎え自分の「こうしたい」をがむしゃらに優先させるまでの間、親は子にとってのルールであり、未来の自分であり、世界のすべてでした。

つまり子どもが感じる喜怒哀楽、自主性、責任感、コミュニケーションなど、人生を形作る感情や思考その他あらゆる要素は、「親のコピー」から始まります。

その親が、自分の人生に、社会に、他人に何を考え、何を選択し、どんな向き合い方をしているのか。

「こうしなさい」という親が葛藤している問題を子どもは敏感に見抜きつつも、「親が言うのだから正しいのだ」と従順に従うことで子どもは成長していく。それが、すべての悲劇の始まりなのかもしれません。

そう考えると、親が担う子どもへの教育は想像以上に重責であり、教える側もしっかり勉強して望まなければ努まらないのではないかとさえ思っています。

この記事は、高橋和也氏が著した『子は親を救うために「心の病」になる』を読んで、今の自分がやるべきことについてアウトプットするために書きました。

何よりも、『我慢することが正しいこと』と思い込んでいるあなたに読んでもらいたいとも思っています。

目次

親の背中を見て子は育つ=「親の心のシステムを子が受け継ぐ」ということ

こんな事を言う僕は、1歳7ヶ月の娘を持つ37歳の父親です。

「子は親の背中を見て育つ」という言葉通り、僕は幼い頃から両親の背中を追って、気づけば同じ趣味を楽しんでいたり、将来の夢にサラリーマンと書いてみたり、まさしく父親の背中を追いかけて生きてきました。

父親は定年退職するまで、何度か職を転々としながら家庭を支えてきた筋金入りのサラリーマン。母親は整体院でパートの助手をしたり、昼間も夜もパートで働く苦労人でした。僕の家庭は裕福ではありませんでした。

歴史小説が大好きだった父親から受け継いだ「中途半端なサムライマインド」。

武士は食わねど高楊枝マインドは、僕にとって「我慢と忍耐こそ男の美徳である」という価値観を育ててくれ、僕はお金がなくても我慢すべきだし、会社で理不尽なことをされても耐えることが正しいことだとずっと思い込んで生きてきました。

なぜでしょうか?

ー大好きなお父さんと、お母さんの背中を追っていけば、自分もきっと同じように幸せになれるんだ。

こんな幼少期からの思い込みや体験・記憶が、僕の根っこにあったんじゃないかと。だからいつでもどこでも、誰かの背中を追っかけていないと不安で、自分が先頭に立って道を切り開いていく!という土壌が育たなかったのかなぁと。

やがて僕は普通に学校に通い、普通に大学に進学し、普通に就職して、普通に結婚して家庭を持ち、娘を授かりました。

でも、その頃の僕は、お金の問題を抱え、仕事にも追い詰められ、人生の目的を見失ってしまった、夢を語れない無感情な大人になっていました。

こんな僕が、生まれてくる娘に何を教えてあげられるだろう…。

娘が生まれると解った時、僕は初めてその課題に直面し、考え、恐れました。不完全な僕の心が、娘に受け継がれてしまう。それだけは避けなければならないと考え始めていました。

親が矛盾に気付き解決するために、子は苦しみ、病気になる

『子は親を救うために「心の病」になる』という著書のあらすじ。

この本のあらすじ

都内でクリニックを営む筆者が、長きにわたるカウンセリングの豊富な臨床体験を元に、DV、拒食症、引きこもりなど特殊な事例だけではなく、一見良好な関係を構築している“普通の家庭”が抱える生き辛さの問題を「幼児期〜宇宙期」という独自の論理で持論を展開する内容である。

述べ数千人、数万人に対する統計データではなく、筆者が実際の現場経験を通じて考察・分析した「生の声」がベースになっているだけに、エピソードはかなり具体的でわかりやすく書かれています。

子が親に暴力を振るう。親が子を殺してしまう。拒食症。リスカ。うつ病、引きこもり。

普段のニュースで信じられないくらい悲しい家族の問題を耳にした時、僕らがまっさきに考えることは、

「どうしてそうなってしまったんだろう?」

というこ疑問なんじゃないでしょうか。

ただその疑問はいつだって「たぶん親の教育のせいだろうね」という曖昧なモヤの中に包まれてしまって、僕らは自分ごとに捉えて学ぶまでもなく、忘れてしまいます。あるいは、「ウチは絶対に大丈夫だ」と思い込んで。

でも、前項で述べたとおり、常識的な両親に育てられた子どもだって、例外ではありません。

というか、環境の「普通と特殊」を分け隔てる明確なラインというものはおそらくなくて、たとえば0〜100までのグラデーションになっていて、それぞれの家庭にはそれぞれの特長・課題があるということです。

「我慢強くあれ」という教えが子どもを死に追いやることもあるかもしれない

ブラック企業で鬱になる極限状態まで働いて、逃げ出すという選択肢を選べずに自ら命を断ってしまう…そんな悲痛なニュースがありますよね。

あの根っこにはもしかすると、

我慢強くあれ。逃げずに責任を全うするべし。忍耐こそが人生だ。それが大人なのだ。

こんな価値観が根底にあるせいで、社会で生存していくための選択肢が「見えなくなってしまっている」んじゃないかと思うんです。

筆者の言葉で一番強烈に残っている一文をご紹介します。

この世界に生まれて、大切な親に認めてもらうために頑張る、

その最初の頑張りが、そのまま、人生の最後まで続く頑張りである。

筆者は本書の中で、62歳の男性のカウンセリングの事例を上げていますが、

  • 親に認められたい
  • 親に褒められたい
  • 親に嫌われたくない
  • 親がそうしているから

彼の62年間の人生の頑張りの動機は、潜在意識で「親」がトリガーになっていたことを述べています。

つまり、成人して親離れした後でも、親の背中は蜃気楼のように遠くでゆらめいている。

僕らが潜在意識で行う判断や決断の奥底には、親の背中の影響が死ぬまで続いていると言っても過言ではない、ということなんじゃないかと思うんです。

そう考えると親の責任ってめちゃくちゃ大きいですよね。

だからこそ、子どもの教育を考えた時、僕らは「親はなくとも子は育つ」なんて言葉を信じるべきではないし、放っておいても自分の自分の…親の人間力が上がっていくことを期待してもいけないはずです。

僕らは知らなければいけません。

子どものために僕らが自ら学び、選択し、主体的に行動する「背中」を手に入れるためにこそ努力すべきであるということを。

我慢する自分は偉い子で、我慢しない自分は悪い子、という価値観

『子は親を救うために「心の病」になる』の中では、反抗期もなく優しく明るい息子が、バリバリのエリート金融サラリーマンを辞めて引きこもりになってしまったカウンセリング事例を紹介していました。

彼は料理や音楽が好きでしたが、何でも「こうしたほうが良い」「こうしなさい」と決めてしまう父親の影響で、遊びも部活も将来の仕事も父親の意見を優先する子ども時代を送ったようです。

その結果は?

自分の「こうしたい」を捨てて親の人生を歩んでしまったおかげで、人生の目的を見失ってしまったのでした。

遡れば彼の父親もまた、厳格な父親に従って育ってきた生い立ちがありました。

人の幸福度の50%は遺伝するというアメリカの研究がありますが、遺伝子的なものだけじゃなく、こういったしつけ・教育的な刷り込みもまた、遺伝していくのでしょう。

さて、社会的ひきこもりになってしまった彼はその後どうなったか?

度重なる両親へのカウンセリングの結果、父親は自分の価値観で息子の人生を縛り付けていた事を認めました。

そして「人生とは、仕事とはこうあるべきだ」という押し付けを辞めたそうです。

そのおかげか、時間とともに息子は徐々に立ち直り、「裏方で働きたい」という昔からの願いを叶えるため、遠く離れたカンボジアのボランティア団体で働くようになったといいます。

注目したいのは、カウンセリングの対象が「子ども」ではなく「親」であるということ。鬱やストレスの解消方法は「原因を取り除くこと」が最重要だそうですが、まさしく彼の引きこもりの原因には「親の価値観」があった。

その価値観の誤りを親自身が認め、改善したことで彼の「心の病」は解消されました。

子どもに健全な心のシステムをプレゼントするために

何かを始めるのに遅すぎるということはない。という言葉が僕は好きです。

だから、今までの人生がどうだったから、とかいまさらどうにも出来ない、なんて自分を諦めずに、今できる小さなことから始めていくべきだと思います。

具体的に何をすべきか、は人それぞれ違うと思いますが、今すぐにできることを2つ挙げてみます。

  1. 子どもを支配するのではなく、一個人として尊重する
  2. 子どもに「こうしよう」と言ってて実は自分ができていないこと

難しく考える必要はありません。まずは出来ることから。その上で、さらにやったほうが良いこと、やるべきことについて考えてみて、行動に移していくと投げ出さずに済む気がします。

子どもを支配するのではなく、一個人として尊重する

子どもを支配しない、親のエゴのまま操ろうとしない、というのはなんとなくわかるはずです。

2歳くらいの幼児期の自我の芽生えが引き起こす「イヤイヤ期」は、まさに「こうしたい!」が発露したわかりやすい産声なのでしょう。

それを力で服従させることは学童期までは可能かもしれませんが、それは誰のためにもならない結果を招くはずです。場合によっては、悲劇となるでしょう。

それよりも「理解してもらう」「自分で選んで納得してもらう」ための話し方だったり接し方をしていったほうが、結果的にうまくいくことが多いように感じます。

  • 帰りたくない!と駄々こねるときは、時間を決めてじっと待ってみる。あるいは遠くへ行く
  • この服着たくない!と駄々こねるときは、いくつか服を並べてあげて自分で選ばせてあげる
  • もう食べたくない!というときは、食感なのか、味なのか、ただの気分で食べたくないのかを聞く

みたいに、親の都合で一方的に決めてしまうのではなく、一緒になって目の前の課題を解決する意識を持つ、といえばわかりやすいでしょうか。

子どもに「こうしよう」と言ってて実は自分ができていないことに気づく

自分はできてないけど、子どもへのしつけとして「こうしよう」「こうしたほうがいいよ」と言わないといけないシーンって、けっこうありませんか?

たとえば、

  • おもちゃはきちんと片付けようね、と言っている自分の部屋が全然片付いていない
  • もう寝る時間だよ、早く寝ようね、と言っている自分は3時まで徹夜
  • よく噛んで食べようね、という自分はカレーを飲み込んでいる
  • 嬉しいことをされたらありがとうって言うんだよ、と言っている自分は奥さんに忘れがち

などなど、思い当たることが多すぎて書ききれませんが…(僕がだらしないだけかもしれない説)

「言ってることとやってること違うじゃん」という自己矛盾は、他人に指摘されなければなかなか気づかないもの。

僕自分の思春期を振り返ると、そういう「親だって出来てないじゃん」な部分は特に気がついたように思います。だから自分も、って出来ない部分を真似してしまうこと、結構ありましたね。

だから、気づいて改善するなら早いほうが良いのかもしれない。

もし親が子どもの思春期まで「自分はできてないけど子には求めてしまう」習慣を続けてることで、将来何が起こるかってなんとなく想像できてしまうんじゃないかと。

だからこそ、

  • 働くとは何なのか
  • なぜ勉強が必要なのか
  • なぜ努力が大切なのか
  • 人に優しくしなくてはいけない理由は

みたいな哲学的な「人生観」の答えを、親自身がきちんと理解し定義して、かつ実践して生きることが、「子どもに見せても大丈夫な背中」を作るために重要なことなんじゃないかと思います。

何よりも、親自身がその価値観を再度学習し、実践した上でなければ机上の空論、「言ってるだけマン」として子どもにはすぐに見透かされてしまいますよね。

彼らの成長に負けないように、僕たち親も、子どもと一緒に人生を学んでいく姿勢が大切なのだと思います。

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